暮らしの底から水面を見つめる

グッドになりたい日記

ファンファーレと熱狂とロックンロールと脱法ハーブ

Twitterに書くには足りなくて、これを小説に叩き込もうとおもったら煩わしくてゲンナリする。日記でもまた書き始めるか、とおもったけど、そうだブログがあるじゃん、と気付いた6月7日です。8億年ぶりに更新することになりました、どうも。

せっかくなのでブログの名前も変えてみました。心機一転、ここから始めます。

 

数年前、周りで謎のブログブームがあって、それに飛び乗る形で作ったここも最初のうちは調子よく書いていたものです。ただ熱しやすく冷めやすい自分の気質はブログも例に漏れず、渡辺曜ちゃんの記事を書いてからインスタントなTwitterばかりに。

ブログ書くのってめんどくさいんすよ。読んでくれる人がいるもんで、やっぱりちゃんと文章にしないといけないし、散り散りになっているいろんな意識をひとつにまとめるのはえらいカロリーを消費してしまいます。ただ小説だって同じことが言えるわけで、それはそこそこやっているくせにブログを書かない理由にならないんですけどね。まぁこっちは締め切りがないから、ってのが大きな言い訳。

 

小説にもブログにもストーリーはありますけど、ブログのストーリーなんて米粒ひとつ分あるかないかくらい。つながりなんてそこまで意識せず問答無用に好き勝手綴ればいいわけなんで、余計に後回しにしてしまいがちです。いつでもやれるやろ。そうおもっていたら季節どころか自分の生活までガラリと変わるくらい経ってしまった。あれだけあったファズも3、4台あるくらい、もはやギターすら長らく弾いてねぇ。

 

逆に変わっていないものってなんやろ、と考えると、相変わらずオタクでいることや、the pillowsのアルバムではPlease Mr.Lostmanが好きなこと、小説を書いていること。片手で数えきれるくらいしか浮かばない。オタクは同人誌を出すくらい深化してしまったよ。合同誌原稿もひとつ抱えています。クソオタク。

でも最近はまた一次創作に手を戻しかけています。アイドルマスターシンデレラガールズでもプレイヤーの鏡であるプロデューサーの部分で自由に(最低限のラインは超えていないつもり)設定して遊んでいたので、もともとそういう気持ちはずっとあったんだとおもいます。そもそも、スタートが一次創作なわけですし。

二次から一次に頭を戻すために、昔書いていたものをリメイクしよう、と考えたのはいいけど、過去作なんてまったく管理してないので出てこない。友達に話したらなぜかあるらしく、持っている全データをもらいました。まー文章がヘタ。単純にヘタクソです、このときのヤマダは。今も文章うま夫ではないんですけど、現状と比べても拙すぎるそれは読めたものじゃない。でも今必要なのはそこじゃなくて、ストーリーの部分ですから。文体というものは大事とはいえ、それが一番になることは絶対ないですから。

 

途中まで書きなおして気付いた、ストーリーも都合良すぎて見るに堪えないわ。大まかな骨組みがあるだけマシ状態で、だいぶ改変が進みました。これぞリメイクや。しかもまだ完成していない、なにをやっているんだ。これは自分のために書いているところが大きいので公開はしませんけど、知り合いの何人かに読んでもらって意見なりを聞いてみたさはありますね。

やっぱり作品(と呼べる高尚なものではないですけど)は外の空気に触れさせないとですね。自分じゃ気づけなかったことがわかる。それに、内で留めるか外に向けるかで書き方もやる気も変わるでしょうし。もちろんそれが良い悪いってのは別問題ですけど。このブログは自分のために書いているところが4割、残りは読んでくれる誰かに向けているつもりなので、一応気を遣っています。

 

ダラダラと書きすぎて長くなってしまいました。悪い癖。備忘録もあってこの記事を書いているんですけど、予定の半分も書けていないでもブログに何千文字書きましたーとかもっと他に頭向けることあったやろ、って後から考えちゃうので今回はここまでにしておきます。

次の更新が明日から明後日か、1年後か5万年後かはわかりませんけど、また書きたいなとおもっています。少なくとも、今この瞬間は。

 

それではみなさまごきげんよう